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舞台 毛皮のマリー(2019年)|感想・レビュー

1967年(昭和42年)、劇団天井桟敷を主宰する寺山修司が美輪明宏(当時は丸山明宏)に“あて書き”したという舞台作品『毛皮のマリー』。美輪さんが演出、美術を手がける2019年版を観劇してきました。

概要

日程:2019年4月2日 (火) 〜2019年4月21日 (日)
会場:新国立劇場 中劇場

作:寺山修司
演出・美術:美輪明宏
出演:
美輪明宏
藤堂日向 麿 赤兒 若松武史
大野俊亮 三宅克幸 プリティ太田
小林永幸 真京孝行 松田拓磨
米田 敬 谷沢龍馬 菅沼 岳 川瀬遼太
樋口祥久 岡本祐輔 吉岡佑也 岩井克之
大濱和朗 重岡峻徳 重松直樹 他

 

感想

『毛皮のマリー』というと、個人的には、「毛皮のマリーズ」というバンドのほうが、なじみ深い。
「毛皮のマリーズ」は、ボーカルの志磨さんが、寺山修二や美輪明宏を好んでいたことから付けたとされています。

そのため、いつか観てみたいと思っていたら、やっていました2019年。

毛皮のマリーの内容を知らなかったので、前日に急いで戯曲を読みました。


戯曲って読んだことなかったけれど、『毛皮のマリー』は、言葉(セリフ)に力強さがあって、面白かった。
文学作品とは違って、動き、セリフで構成されているので、心情が、読みとれない箇所もあるまま、観劇。
たとえば、毛皮のマリーが、水夫に「過去」を話したあと、水夫は、「うそでしょう?」とあるけれど、そこは、「嘘だと言ってほしい」という心情セリフだったりした。戯曲には、解釈の幅があって、解釈をしていくという作業があるんですね、きっと。


戯曲を読んだときは、主人公の毛皮のマリーを際立たせるようなの舞台という印象だったけれど、
観劇したら、違っていて、麿赤兒演じる下男の3幕での美しくって、妖しい世界が際立っていたり、美輪演じる毛皮のマリーの過去を語るひとり語りのシーンの引きこまれたり、色鮮やかで美しいシーンの連続でした。
3幕での裸に近い格好でラインダンスをするダンサーたちをみていたら、女性よりもずっと美しく思えた。
戯曲では、最後のシーンで、欣也が、泣きながら化粧をされつつ幕を閉じるが、今回は、毛皮のマリーが「どうしたら、この子を守れるのか」と嘆いて終わる。
同じ道を歩ませる苦悩と葛藤のなかで、嘆きながら終わるところに共感して、泣きそうになった。
最後の5幕は、ぐんぐん惹きこまれて、そのまま幕を閉じてしまった。
最後のカーテンコールの美輪さんの去り際は、神々しすぎて、もはやキリストを思わせた。
観にいけて本当に幸せな時間でした。

 

ちなみに、舞台美術は前回の舞台と同じものを使用しているそう。
浴槽や床の模様が美しかったり、置いてあるアンティークのレコードや椅子たちもとっても好みな感じでした。
ちょっとビザンチン風な模様の浴槽と美輪さんは語られています。
美輪さんは、『ジェニイの家』という、フランソワーズ・ロゼー・オーストリア映画の『母の瞳』、日本映画の『愛染かつら』で田中絹代・『南の誘惑』というトーキー初期のドイツ映画の大女優、ツァラー・レアンダーなどをミックスして、毛皮のマリーを演じると語られています。

参照先:https://spice.eplus.jp/articles/221592

 

戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている (角川文庫)

戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている (角川文庫)